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ふと物思い。
10年前キャバ嬢時代、当時20歳になりたてのあたしに、脂ののったスーツを着たおじさんが「選挙行った?」って聞いてきた。
「あ。今選挙なんだ。そーゆーの、きょーみなーい」と応えたら、お酒の席でえらいお説教をされたのを思い出した。「煩いなこのおじさん」と思っていたあたしは、終始上の空で彼が何を話していたかなんて、これっぽっちも覚えちゃいないけれど、今なら彼とも、選挙をネタにそこそこ、盛り上がってお酒が飲めそうな気がする。
その時のあたしは、選挙が自分たちの生活にこんなに直結してるなんて、ぜーんぜん実感なかったんだもんな。
どう伝えたら、あの頃のあたしに「へー、選挙って意外と面白いじゃん」と思ってもらえるのかは、未だにわからない。
でも、最近はちょいちょいそんなことを考えてる。それはもちろん、福島知事選が今週末にあるから。
今回の知事選、福島の未来だけじゃなく、日本や世界の未来を占う一戦だとあたしは思っている。
後から歴史を読み解いたらきっとこの日、ターニングポイントになりえると思うんだけどな。個人的には住民票を移動してしまったゆえ、そんな大局面に参加できる権利がないのは、本当につまらない。
あ。そうね。
ひとつ言えるなら、いかなきゃダメ!と説教されたから益々行きたくなくなったのかもね。当時の私は。
おじさん、選挙の楽しみ方をおしえてくれれば、良かったのにな。なんて他力本願なタラレバ談義でした。
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都市と田舎
先週末、島牧へ行ってふと感じとことがある。なんのことはない、札幌は都会だという、至って当たり前のことなんだけど。
島牧村という人口1600人の村は、何かやっている人たちは、みんな顔が見える。競争ではなく共生。あるものを生かす、ないものは作る、シェアする。
島牧村だけではなくて、後志地域の人たちが互いにそうしてゆるりと暮らしている。その一端を感じながらの3日間だった。
普段は散り散りな人たちが集まってくる高揚感。イベント終了後、みんなが新たなものを手にして各々が家へと帰ってゆく、祭りの後のなんともいえない満足感と、どことない淋しさ。
まるで福島にいるよう、終始居心地がよかった。
北海道に移り住んで、札幌に暮らして、この地はこんなにものんびりしていて、穏やかだと思っていたのに、札幌ですら私はどこか何かに追いかけられるように、焦りながら暮らしていたということに気づくこととなった。
北海道とはいえ、やはり、札幌は都会なのだ。
それが悪いとは言っていない。
ただ、福島という人口30万前後のちょうどよい田舎町育ちのわたしの肌に染み付いた居心地の良さとは、やはり田舎町にある。そんな気づきを伴った実感だった。
福島市…ふと私の生まれた土地でコマを育てられたら。と思うこともないわけではない。覚悟をもって、福島で楽しく暮らしているみんなを見ていて、羨ましく感じることもある。でも、私にその選択が、できる強さはない。
いじる楽しさと、居心地の良さが共存した地域。これからの私のテーマとなりそうである。
大切にしたいのは、肌感覚。
今日は我が家のハイハイ記念日。
「お母さんがこうやってやるんだよってやって見せてあげると、赤ちゃんはちゃんとやるわよ。わかるのよ。」昨日見学にいった幼稚園での、ベテラン保育士さんに言われた一言がずっと頭にあり、午前中お友だちの赤ちゃんのベビーシッターをしながら、彼女のお宅で半信半疑ながらもやったみたのだった。「コマさんハイハイこうだよーっ」ひたすら同じ目線に四つん這い。ん〜なんとなく恥ずかしい。だいたい我が家ではこういうことは、コウスケの係なのだけど…
当のコマさんは、ニコニコしながらも、依然ずりばい。
まぁ、そうですよね。そんなもんですよね。
そう簡単にはいくはずもないことぐらい知っています。
ベビーシッターを終えて家に帰って来た。北海道の空はもう5時といったら薄暗い。そろそろお風呂か。服を脱がせて、よし!お風呂場までずりばいで行っておいで!パパが待ってるよ。ゴーゴー!いつもは閉鎖中のお風呂場へのバリケードを外して全裸で野放しにしてみた。すると…突然!腰を上げて、肘ではなく手のひらをついて、一歩ずつ前に進みだしたではないか!!!右…左、右…左!こここ、これは!世に言うハイハイというものでは?!
「 こーちゃーん!!!コマがハイハイしてるーはやくはやく!」お風呂で先に入っていたコウスケも半裸でやってきた。「おー!すごいすごい!コマさんすごいねぇ。ちゃんと覚えたんだねー!」感激の父母。我が子がハイハイしたとか、立ったとか、言葉を話したとか、そんなに感動するもん?!大袈裟だよー!と今まで思っていました。ゴメンナサイ。これは感動するね。こんな些細な出来事が、こんなにも喜ばしく幸せだなんて。
赤ちゃんの学習能力の高さに驚くばかり。きっとこれはうちの子だけじゃないはずね。こんなに面白いのなら、もっとこの子と向き合おうと思った次第。(←現金な母でごめんねこまさん)
ふと、ピラティスの創始者ジョセフピラティス氏の言葉を思い出していた。
“10レッスンで気分が良くなり、20レッスンで見た目が良くなり、30レッスンで完全に新しい体になります”
続けている人たちを見ていて、本当にその通りだという実感がある。
私のレッスンは、多くとも同じ場所で月に2回ほど。みっちり来ても、新しい体になるまでは1年以上はかかる計算だけれど、コツコツでもコンスタントに続けている人たちの体が確実に変わっていくのを見ていていると、あらためてピラティスさんのいうことの意味を理解できる。
年齢なんて、関係ない。 筋肉は何歳になっても裏切りません。やればやっただけ成果がでる。それもピラティス(だけじゃなく運動全般そうだけど)の魅力のひとつなのだと思う。
クラスデザインを考えていて、思い立ったので夜な夜な備忘録。ピラティスは私の、ライフワーク。
昨日朝から畑に行ってきた。今年こそ畑を!と春に思い立って、仲間に入れてもらった共同畑。仲間は、びっくりするほど濃くてユルいレアなメンバーばかり。
今年の夏はコマを連れて畑になかなか行けないため、ほとんどコウスケの朝飯前仕事に頼りきりだったのだけど、お陰で今までの人生でこれ以上ないレベルで豊かな食卓となった。
スーパーにゆく回数は、月に片手で収まる程度。それ以外はほとんど畑のお野菜で賄うことができた。お陰で今年は切り干し大根、トマトケチャップ、梅干し、ふりかけ、はりはり漬け、なんでも手作りができた。農薬も肥料も使っていない。誰が種を蒔き、誰が世話をしたのかがわかる野菜たち。それを毎日頂くって、こんなに充実感があると思わなかった。
そして昨日、思っていたこと。稼ぐって、お金だけじゃないよね。食べものを作ることも稼ぐこと。エンゲル係数は俄然下がったけど、豊かさは確実にあがってる我が家。これってすごいことじゃない?お金だけじゃない世界が、畑から見えてきた。