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12 / 23 Mon 07:19 ×
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01 / 16 Fri 23:37 #宍戸慈 ×

我が家の新年は立春始まり。
グレゴリオ暦よりは、自然の移ろいに合わせた暦で暮らしたいから。
そんな立春前の18日間、土用に明日からイン。
土用期間は大きなことを決めない、動かさない方がいい。
という昔ながらの習わしに従って「今日までにやらなくちゃー」と
慌てて2015年始夫婦ミーティングを開催した。

2014年はどうだった?
なんだかんだいってよく持ちこたえたよね。
そうそう、思い起こしてみれば、コマの妊娠がわかってからというもの、福島でせっかく頑張って構築してきた仕事をきれいさっぱり辞めて、身寄りは妻しか居ない北海道へ移住してきた我が夫コウスケ。仕事のつてもない、親や親戚など頼れるところもない中でよく1年我が家を支えてくれたものである。

ばりばり働いていた妻は産休で収入が一時的にゼロ、その上、自宅で出産したいなんて言うものだから、家事に育児に去年の2月3月はコウスケ自身も全くといっていいほど働く時間なんてなかったのである。

産褥期で寝たきりの私。
理由もわからず泣く娘。
布おむつの洗濯に、ご飯の用意…
普通だったら里帰り出産なんかをして実母が手慣れた作業でやってくれるであろうことを
彼は、家で物書きの仕事をしながらヒーヒーいいながらこなしていた。
産後のホルモンバランスの変化によって、ナイーブな私とぶつかりながらも
それでも、なんとか持ちこたえたコウスケ。
手前味噌ながら、本当によくやったな、と思う。

私とコウスケのほんの少しの貯金と
月に何本かずつ復帰して稼いだ私の稼ぎ
「ホント、4月頃はもう駄目かと思ったもんね。破綻してた(笑)」
本人がそういうくらい、ぎりぎりだった。

産褥期だけでなく、その後この家に引っ越してくるまでの間
狭い単身者用マンションに家族3人ひしめき合って暮らしていたから
彼の仕事スペースといったら窓際に設置された直径60センチほどの丸テーブルと、椅子が一脚のみであった。そこで夜も昼もコツコツコツコツ。コマに泣かれれば、膝の上に乗せながら、私に文句の一つも言われながら、くるひもくる日もパソコンに向かい続けた。

そんな彼の地道な努力の甲斐あって、
我が家はなんとか2014年を乗り切ることができたのであった。

持ちこたえたのは奇跡かもね。
生活と子育てと必死すぎてどうやって生活していたかあんまり覚えていない。(笑)
ただ、春から夏にかけて、今年からはじめた畑の恵みにものすごく助けられたのだけは鮮明に思い出せる。夏なんてほとんど食べ物を買ってないんじゃないかな。
「今年は絶対に畑をやりたい!」と豪語した割に、産褥期でコマ連れで全然出れなかった私の代わりにコウスケが毎朝6時には畑に出て行き、大量の野菜をとって帰ってきてくれた。どんなに有り難かったことか。コウスケに、自然に、そして考えるやぎの畑のみんなに感謝である。

「今年はもう少し余裕を持って暮らしたいね」
考えてみたら、去年は二人ともプライベートな時間(どこかへ遊びに行くとか)なんてヒトッツもなかった。子育てしている時間はプライベートなのかもしれないけれど、自営業夫婦の私たちにとってそれは、ゆとりの時間でもなんでもない。やりたい仕事があるのだけれど、子育てという目の前にやらなければならないことがあってそこにたどり着けないでいるという状況に過ぎない。OFFなんて言葉、どっか遠くへ飛んでしまっていた。
「月に1回でも2回でもいいから、オフを作って家族で出かけたりしよう」
「夫婦MTGも大事だね。これも最低月1回」
コマが生まれてから、こんなMTGをする時間すらとれずにいたもんね。

今年はあれがしたいこれがしたい。
これもできてないね、あれができたら楽しい。。。
3月が来たら結婚して丸2年。
まだまだ、模索中の弊夫婦。今年もよろしくお願いします。


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01 / 07 Wed 22:10 #宍戸慈 ×

昨日、年明けはじめてのオッパイマッサージにいってきた。
ブログを書こうと思っていたのに、悪いものが出きったからか
肩の力がふわっと抜けて、おっぱいタイムもとてもとても心地よくて
授乳しながらうとうとと一緒に寝てしまった。
乳腺炎をきっかけに行き始めたこのマッサージ。
昨日で3回目。すっかりハマってしまった。

おっとりと優しい、でも芯はしゃんとしている。
昭和の女、というイメージがぴったりな還暦を超えたおっぱい先生。
会うだけで、話を聞くだけで女性として、母としての真ん中に戻って帰って来れるような雰囲気を持っている。

「もうね私が、桶谷先生のところに行ってから…
そうね〜36年ね〜30年以上こうしておっぱいの手技をしているわ〜(笑)」

正式名称を「桶谷式母乳マッサージ」。
全国にたくさんこの手技に助けられているお母さんたちがいる。
名前はよく聞いていたけれど、それが一体なんなのかやってもらうまで、
話をきちんと聞くまで全然知らなかった世界だった。

約100年前の満州…桶谷先生は助産師としてそこにいたのだとういう。当時、食べ物がなく乳が出ず、赤ちゃんを育てられなくて困っていた人たちを「とにかくおっぱいを出さなくっちゃ!」とひたすらマッサージをしたことに端を発する。
その手技だけでも残すことが、後世の役に立つと言われ人から人へ、受け継がれて今がある。

「もうお亡くなりになられてしまったけど、桶谷先生はね、やっぱりこの手技は命を取り上げることのできる助産師さんたちに次いで欲しいといってね、桶谷式の資格は助産師としての経験を3年以上積んだものにしかとれないものになっているの。それにあたしたち、おっぱいの勉強だけ1年間もするのよ。」

そんな世間話をしながら、
ベットの上に横になり、あったかいタオルで胸を温める。
ゆっくりと手技を施してもらう。
1時間に一人だけ。
お医者さんでもなければ、エステティシャンでもない
どちらかといえば、母や祖母に近い存在。

「産後8ヶ月ぐらいまで自分の体に戻ったって感覚がなくって、
 よく体調崩したりしてたんですよね〜。最近やっと普通になってきたかな。」

「あら、そう〜。カラスの時期が長かったのね。」

「カラス?!」

「そうよ〜守るのに必死だったんでしょ〜。
交感神経がずっと立ちっぱなしだったのね、きっと。
もっとはやく出会えたらよかったわね〜。
おっぱい見せてくれたら一発だったかもしれないわ(笑)。
体は全部繋がっているから〜妊娠中は子宮がすべてでしょ。
でも産後はオッパイなのよ。オッパイが上手く行っていれば戻るのも早いもの。
あたしたち哺乳類なんだもの〜。」

「お正月でお餅もたくさん食べちゃって…
オッパイ大丈夫かな、って心配してたんですけど…」

「コマちゃん、わかってたくさん吸ってくれていたのかもね。
年末から何回かこうしてマッサージにきてオッパイを耕していたしね〜」

確かに。マッサージに行ってからか、年末だったからか、
ここ最近授乳の回数はびっくりするほど増えている。

「卒乳とか断乳ってあんまり考えてないんですけど…」

「そうね〜まずはコマちゃんが1歳になってしっかり立って歩き始めたら。
そして真夏とか真冬とかは避けて、体調のいい時に。
でも、断乳は親主導よ。きちんと『今だな』って時を、あなたが見定めるの。
哺乳類はみーんなそうなのよ。どんな子もおっぱいのやめ時ってのがあって、
他の動物もみんな親主導でやるの。違うのはチンパンジーだけ。
コマちゃんはどんなやめ方するんだろうね〜楽しみね〜。」

話の一つ一つが身に染みることばかり。
あぁ、そうなのか〜。ああなのか〜。と
体の神秘に、歴史と人の熱き想いに、子育ての奥深さに、想いを馳せながら
彼女の手に身を委ねていると「はい、おつかれさま」とあっという間に1時間が過ぎてしまう。

できあがったふわっふわの胸を触ると
不思議と母としての自信がわいてくる。
あんなに頻繁に「ぱいぱい」を連呼され気疲れ「もう、はやくオッパイ放してくれないかなぁ」と思いながら授乳していたなんて嘘のよう。
自律神経が整うのだと思う。副交感神経がしっかり働いて、母本来の力が奥から湧きあがってきているのがわかる。

そして、実際に授乳をしてみても全然違う。
ぐいぐい吸っていく娘をみて「可愛いな」と思う度合いも5割ぐらい増している。
「おっぱい吸ってあげなくちゃって、わかってていっぱい吸ってくれてたの?
おいしくなったでしょ。ありがとね〜」
なんて話しかけながら、ニコニコしながら授乳している。
途中で寝てしまったおでこにキスしてみたりなんかして。

授乳をしているだけで、なんてあたしは幸せなんだ!と思える。
ああ、産まれたばっかりはこうやって授乳してたんだっけ。戻った戻った!
 
災い転じて福となすとはこのこと。
本当に出逢えてよかったおっぱい先生。
乳腺炎になったのも、コマが導いてくれたのかな。

妊娠中は子宮で育てて、
産んだらおっぱいで育てて…、
体全身を使って子どもを育ててゆく女という哺乳類。なんて面白いんだろう。
こうして子育てにもどんどんとハマっていく。
それも今だけ!そんなわたしも、いいじゃないか!





01 / 05 Mon 22:44 #宍戸慈 ×

午前中、近所のスーパーに買い物に行ってくると言ったら
コウスケが「どうせなら出るついでに仕事してきたら?」と言ってくれた。

起きている間は、ママのする事なす事真似したいコマさんのお陰で
家ではめっきりパソコンを開けなくなってしまった。
(パソコンを開けばパソコンをバシバシ叩く)
2時間でいいからカフェにデスクワークをしに行きたいと言っていたのを考慮してくれたのだ。ありがたい。

本日の外気温1℃。
あったかい。
積もった雪の上に低めの太陽が日だまりをつくっている。
1℃であったかいだなんて、あたしもすっかり道産子よのう。
カフェへ向かう足取りは軽い。

みっちり2時間、返しそびれていたメールの返信に、今年の予定やらレッスンのお知らせやら
やりたかった仕事を一気に片付ける。さい先のいいスタートだ。

いつの間にか、仕事が私のストレス解消になっている。
コマさんは可愛いし、家事も育児も嫌いじゃない。
でも、仕事ができないとやっぱり私にとってはストレスなのだ。
社会との繋がりなく、母としてだけ生きるなんて私には無理なのだと思う。
それができる人は本当にすごいと思うのである。

あなたの夢は?と聞かれて「お嫁さん!♡」と答える
メルヘンで可愛げのある女子にはいくつになってもなれそうにない。
いや、もうなる必要もないのだけれど。



01 / 04 Sun 01:15 #宍戸慈 ×

年が明けた途端に、これからのことを一気に考え出している。
2月、コマさんの誕生日
3月、帰省
6月、結婚式…
考え始めたら、コマはどこの幼稚園?とか、2人目は?仕事の今後の展開?親の老後…?わっと、10年くらい未来までグリット上で想像がついてしまう事態に愕然とした。子どもを産んで、一年に一歳ずつ大きくなり、その分自分たちも歳を重ね、親は老い…当たり前のことなのに、今までまったく意識をしてこなかったのだろう。

人生っていうグラウンドに足を伸ばしてシャンと立ったような気分だ。
できることは限られる。時間も。
20代の頃みたいに2段抜かし3段抜かしの飛び道具はもう使えない。
着実に重ねていく中で何ができるか。誰とやるか。どう生きるか。

そんなことを考えていた時
ちょうど友人と久しぶりに電話をした。彼女の母が病気で手術をするのだという。

大人になり、一人の人間と人間でフィ50:50で生活をしていたところ、それが決まってから彼女の肩にかかるものが増えたと言っていた。

風来坊みたいだったあたしがさぁ、五年単位で腰落ち着けて色々やろうってなってるよ。

状況は違えど、こうして守るものを増やして、人は大人になっていくのかもしれない。いや、大人にならざろうえないのかな。子どもを産もうがうまなかろうが、親が元気だろうがそうでなかろうが、何かのきっかけで、みんな経験してゆく道。

その中で何ができるか。
今年は考える一年になりそうだ。
01 / 03 Sat 21:44 #宍戸慈 ×

あけましておめでとうございます。
と書いておいて、あまりお正月感のない我が家。

私もコウスケもフリーランスなため、いつも仕事でいつもがプライベート。
世間が3が日でもあんまりいつもと変わらない。
そんな我が家もお正月感を出すために、神社にお参りに行ってきた。

風が吹くたびにご神木に積もった雪が、粉雪となってはらはらと舞う
きゅ、きゅ、と雪を踏みしめながら鳥居をひとつひとつくぐっていく
白地に朱色。見上げれば冬の晴れ間。
お日様が満点笑顔の小春日和。

しばらく歩いているとツーンと鼻が痛冷たくなってくる。
空気が澄んでいる。
なんて美しいんだろう。
ちゃんと神様が居そうな神社だ。



お金の匂いのあまりしない、この小さな神社が一瞬で好きになる。
また来年もここにこよう。(北海道神宮の方が実は近所なのだけどね)

信心深い方ではないのだけれど、ちゃんとおみくじを引いてお参りをしてきた。
願い事は秘密。言ってしまうと叶わなくなるって聞いたことがあるから。

ただ、家族をもってから?30を超えたから?願いことが素朴になったな。



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