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雑誌の撮影で海辺に
思わず深呼吸したくなる青い空、蒼い海
こんなNice spot 知らなかった
これだから、北海道の夏は大好きです
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夕方5時を少しまわったところ
今日は来客があって一日中起きていたコマさんが
珍しくこんな時間に寝てくれている
夏至を少し回った札幌の夕刻はまだまだ明るい
まだまだ沈まないぞと西の空で頑張っている太陽くんが「夕飯の支度をするには、まだはやいよ。」が言っている。
こんな時間は書いてみる。
おっぱい、うんち、おしっこ、おっぱい、うんち、おしっこ、の無限ループ
それに加えて最近は、遊んでー!が追加された。
コマさんが産まれてからというもの、子育てと家事とチョッピリの仕事の合間の、細切れの時間が私の時間。そう思い返してみると、ライフスタイルはすっかり変わったものだ。
一日中パソコンに向かえていた日々はどこへやら、気付けばブログも3〜4ヶ月放置してしまっていた。それがここ数日、「この気持ち、忘れないように書いておこう。子育てしてる今は今しかないんだもん」とゆるゆる書き出したら、思わぬ収穫(気づき)があった。
いや、なんのことはない
「私には表現する時間が必要」という以前の私からしてみたら当たり前のことを、再確認しただけのことなのだけれど…(笑
妊娠、出産、育児という人生稀に見る大変化の中で、どうやら私は、そんな自分にとっての当たり前のことすら、どこかへ置き忘れて来てしまっていたみたいなのである。
けっして忙殺されてるわけじゃないし、子育てはすこぶる楽しい。
コマさんとの時間は、何ものにも代え難いし、そんな風に思えている新しい自分も大好き。
だから「髪の毛振り乱して〜忙しくってそんな当たり前のことも忘れてたー」ってそんな感じじゃ全然なく。どちらかというと、そんな違うスイッチ(母モード)に入っていた自分に4ヶ月も気付かなかったぐらい、目の前のこと(ベビーとの日々)に集中してたんだ私。という良い意味での気付き。
そうそう、そうだった。
編集の仕事をしている時からそう
あたしは文章を書くのが好きだし
誰かにそれを読んでもらうのはもっと好き
ここ数年は、書くだけじゃなく話すもその領域に入っている
自分の体験したこと、感じた事をこうして何かしらの形でシェアすること
それで誰かが喜んでくれたり、誰かのためになったりしたのなら最高なのだ
それこそが、あたしの表現であり、生きている証みたいなものになっているんだと思うのだ
なぁんて思っていたら、
家にあった本にこんなことが書いてあって納得。
なんか最近本のシェアばっかりになってるけど。これは、いいこと言ってる。
なんてったって、お風呂で3回ぐらい読み直しちゃったもんねー(笑
排泄できるからだは、表現できるからだ
季節も変動ですが、病気も変動です。整体では、よくも悪くも「変動」というニュートラルな言い方をします。変動は、からだが必要で、よかれと思ってやっていることで、それがなかったらもっと大変なことになるのかもしれない。だから、「治す」という発想を一切しないで、からだが今何か必要があってやっている変動に、返事をする、という感じになります。
例えばお母さんの咳が、旦那さんをひっぱたく事で止まった事がありました。この場合はお母さんが常に言い負かされる事に問題があった。それを、体が満足するように、滞っているとことを出せるように導くと、すっと経過できるんです。
もちろんすべての咳がだんなをひっぱたく事で、止まるわけではないですよ?何がどんな状況でそういうことになっているのか、観察する必要がある。お母さんの体も心も、子どもとの関係も、地域や親戚との付き合いも関係するし、明らかに冷えが原因の場合もある。その現象が起きている背景がわかってくると、手当に着手できるんですね。
結局、大事なのはコミュニケーションです。その咳は何を言っているのか、言葉になっていないけれども、受け止めて、返事するしかない。うまく流れないものが、変動として病になってるんです。どんなに怒っていても、ちゃんと相手にその怒りをぶつけていたらすっきりするじゃないですか。うまく伝えられなかったり、出せなかったりしたら、肝臓も腫れてくるし、いらいらする。人は、うまく出せていたら、自然体なんです。
そういう意味では、怒りたいときに怒り、泣きたい時に泣く子どもは自然体です。でもちょっと大人の身振りを身につけるとだんだん自分の中に閉じ込めるから、表への出し方を身につけなければならない。つまり、それが排泄です。排泄できるからだは、表現もできるんですね。
そこで、うまく排泄できるように導くのが、手当となります。愉気でふれあうことで、いいコミュニケーションになりますし、抱えていたものがふっと降ろせるから、次へ行けます。逆に抱えたままだと、いつまでもそこに戻ってしまう。
だから、まずはお母さんのデトックスが必要ですね。僕の作務衣は母が作ったものですが、母は、パッチワークさえあれば生きていけるという。パッチワークで排泄しているんです。
なかなか自分の時間がとれないというお母さんは多いけれども、いろんな人に助けてもらいながら、自分を出す時間を作ってください。親がそういう姿を見せてあげれば、子どもの教育は、たぶんあまり考えなくてもいいんです。子どもは自然に、上手に出せる子に育っていける。大人は言いたいこと、やりたいことをなるべくして、生きていきたいです。(別冊うかたま 2013年7月1
日発行 子どもを守る自然な手当てより)
母であり一人の人間としてこれからも表現し続けていきたいと
想いを新たにしたのでした。お母さんたちがもっと表現できる世界に乾杯!
小さい足に邪魔されながら
今の時期にしかとれない山椒の実の下処理
ちりめん山椒でも作るつもり。ふふふ。楽しみ。
この1週間お出かけや仕事が続いてて
コマさんとの時間がなかなかゆっくりとれていなかったから、こんな普通の時間が頗る幸せと感じる。ホント、いい時間。
さて、そんなコマさんが
なんと金曜日に発熱!
そして土曜日から顔を中心に赤いポチポチが!
わぉーーーーなんじゃこりゃー!!!!
とテンパる新米母。
砂糖食べたから?
忙しかったからタンパク質とり過ぎちゃった?!
お出かけ続きで疲れた?無理させちゃったかな?
と自分の生活を振り返っていたら
my母がポツリと「突発性発疹じゃない?」と。
ふふーん、なんじゃそりゃ?
新米ママの私、右も左もわからないので
とりあえずこんな時はGoogle先生に聞いてみる。
先生曰く
・6ヶ月から2歳の頃に出る
・発熱の後、熱がひくと全身の湿疹ができるのが特徴
・初めての発熱の場合が多い
・3〜4日で発疹は消える
・熱が出ている時は風邪と思われる事もあり、湿疹がでて初めて「突発性発疹」と診断される
・お母さんのお腹の中からもらってきた免疫がなくなる頃、免疫力が弱ってかかる
ほほーん。これかぁ。
コマさんはまだ4ヶ月だけどチョット早く来たってコトか。
「突発性発疹」なんて名前がついているけど、要は毒出しなんだろうなぁ。
いずれにせよ、免疫が低下しているのは違いないので下記で対応。
・母が汗が出るほどの生姜を食べる(葛湯やうどんなどに皮ごとが◎)
・莪じゅつ粉末をいつもより多く飲む(我が家の万能薬)
・ベビーにこんにゃく湿布を(肝臓と腎臓と丹田の3カ所、小さく切ってベビー用にして)
すると1日半で下がり、発疹も約2日でおさまりました。よかったー(^^)
発疹が収るや否や、寝る時間は長くなり、頗るご機嫌。
声を出して笑うし、寝返りの練習も自らし始めた。
遊ぶだけ遊んだら、泣きもせず、少々ぐずったぐらいでまたスヤスヤ。
どうやら調子いいみたい。
この世に来て4ヶ月、悪いものが溜まってしまっていたのね。
いっぱい出せてよかったねー^^
毒をためこみやすい梅雨時期、
それでも出せるってことはいいことなのだと思うのです。
ベビーの健康如何
はじめてのことで、わからないことばかりだけど
その都度無駄にビックリしたり慌てたりせず、落ち着いて、
病院にもできるだけお世話にならずに済むように、
できるだけお家で対応できる母になりたいな。
そのためにも、もっともっと勉強しなくっちゃ。
そして、できるだけ毒がまたたまらないよう、
自分たちの生活も再度、見直したいと思った母なのでした。
日曜日、「第1回ノースアイランドラリー札幌ー稚内ーサハリン5days」というイベントの司会のお仕事でした。
去年の日高以来のバイクのお仕事。
レースクィーンの仕事がこうして札幌でつながって…出産した今もチョッピリだけど関われていることが嬉しい日曜日。本当にありがたい。
それはさておき今回のノースアイランドラリーとは
札幌を出発して、稚内までバビューンとバイクで。
そしてそこからフェリーにのって国境を越えロシアの地サハリンへ。
文化も言葉もちがうサハリンを自分のバイクで走って来ちゃおう!という5日間のバイクの旅。
日本出発して、国境を越えてのラリーはなんと、市場初なんだとか。
全国各地から集まった人たちの顔と言ったらもぉ、本当にワクワクしていて
みんなおじさん(ごめんなさい)たちなんだけど、でもやっぱり子どもみたいにドキドキしていて
お見送りしているこっちまでにやけてしまうくらい楽しそうで羨ましかった。
そんなMCの仕事の合間
ガレージにおいてあったフリーライドマガジンをふと手に取ってみていたら
このラリーについて、ラリーディレクターの春木さんが書いた記事が。
おもむろに読んでいたら、思いがけず感動してしまった。
いい記事だったから抜粋します。でも全文を読みたい方、
フリーライドマガジンに問い合わせてみてください。
編集長は強面ですが、とっても優しくてお茶目な
三上さん、という方ですよ(^^)
フリーライドマガジンhttp://ridepb.com/
タイトル・国境
(前略)
この季節にサハリンを訪れたのは、もちろん6月に実施する「ノースアイランドラリー」の打合せのためだ。
あまり大げさな事ではないのだが、サハリン州をはじめ行政機関と各種の擦り合わせを行っている。ラリーの運営が円滑に行われるために、こうして作業は欠かすことができない。すでにウクライナ情勢が緊迫の色合いを帯びている頃だったので、当然、それについても触れられることになった。さまざまな厳しい問題がある、だがしかし、こうした両国関係だからこそ、またこうして時期だからこそ、我々民間人、市民はお互いにもっと交流をして、理解を深め合うことが大事だという共通認識を示し合う事ができた。
まったくその通りだと思う。
もっとみんな遊ぶべきだ。同じ情熱を確認し合おう機会が必要だ。
政治家の威勢のいいスローガンにのっかって、それにあやつられて、市民同士が罵り合い、傷つけ合う事ほど愚かなことはない。悪いやつらは、憎しみを上手に操って、市民を戦争の道具に変えていこうとする。それに逆らう一番の方法。
立花隆がなんかの対談で「サミットなんか一度みんなスペースシャトルに乗っけてやったらいいんだ。宇宙空間から国境のない地球を見下ろしながら」というような冗談を言っていた。そうすれば、大統領も首相も大臣も、やっと古いパラダイムから抜け出せるんじゃないか。と。
これは、以前に書いたことなんだけど、ISDE=インターナショナルシィックスディズエンデューロなんかは、ある意味では宇宙から地球を見るように、国境のない世界を体感する良い機会なんじゃないかと思っている。究極的には世界平和につながるイベントなんじゃないかと。
世界中のライダーが一年に一度、ひとつのパルクフェルメ、ひとつのルール、ひとつの目標の下に集う。違う国、違う文化、違う宗教、肌の色も違う、平べったい顔もあれば、鼻の高い顔もいる。大きいのも小さいのも。いろんなのが集まってくるが、しかしそこにはどんな敵も居ない。どこを見ても、同じ情熱を持った仲間たちが、自分と同じ方を見て頑張っている。
俺たちが、いくら仲良くしたからって、急に世界が平和になるということはないだろう。でも、敵より友人が増えた方がいいんじゃないか、だからもっとたくさん、仲間を作ろう、世界中に。
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そうそう、そうそう、そうなのだ。
こういう人たちがたくさんいるから。
根っこがここにある人たちだから見ていても気持ちいいのだ。応援したくなるのだ。
だから、わたし昔からバイクの仕事は好きなのだ。
明日集団的自衛権が閣議決定?そんな夜
無力感に無力にさせられそうになったら、昨日札幌をスタートしていったおじさんたちの、目のキラキラを思い出したらいい。私たちには「楽しむ」っていう共通概念があるじゃないか。無力なんかじゃないのだ!きっと、今頃彼らはサハリン。国際交流しながら、楽しんでるんだろうなぁ。いいなぁ
春分の日、床上げをすませました
あと1週間は産褥期だけれど、授乳にも慣れたし体調もだいぶ戻ってきました
ずっと書きたかった自宅出産のことそろそろ綴っていきたいと思います
-幸せなお産#1【陣痛編】-
「もしもーしいつですか?こちらは用意万端ですよ
このままお腹の中に吸収されちゃうんじゃない?」
なんて話をしていた2月も中旬のことでした。
お正月をすぎた頃
「もうだいぶ下がってきてるね。これは予定日までもたないかもしれないわね」
という産婆さんの言葉に夫婦共々、予定日の1ヶ月も前から
「今日かも、明日かも」とドキドキしていたため
まさかの予定日1週間遅れ「このまま出てこないかもね〜」と
冗談まじりにのんびりとした日々を過ごしていたのでした。
2月14日今宵は満月
もうきっと産まれてるだろう。とフライング気味に飛行機を予約してしまっていた
旦那さんのお母さんたちが南相馬から札幌へきてくれていました
「産まれてなくてすみません…」せっかくきてもらったのに…
申し訳ない気持ちを抱きつつ、こればかりはどうすることもできず、
街のご飯屋さんで一緒に夕食をとっていました
「2人分なんだからいっぱい食べてね」
「確かに、今夜かもしれないですものね、精力つけておきます(笑)」
とたくさんご馳走になり帰りがけ
「少し歩いて帰ろうか」と夫婦2人仲良く手をつないぎ歩きながら
「いつ出てくるんだろうね〜」
「こうして2人なのもあとわずかだね」と見上げた北国の澄み切った夜空に
まんまるの優しいお月様がぽぉって浮かんでいました
家についたのは20時をまわった頃だったでしょうか
少しお酒の回った彼が、隣で気持ちよさそうにすぅすぅと寝息を立て始めました
外は深々と如月の雪が降はじめました
そんな22時頃のことでした
いたたたたたた
ん?
…15分後、いたたたたたた
今まで、骨盤や恥骨周りに痛みを感じることはあったものの
これまでとは完全に種類の違う痛みです
お腹を壊した時の痛みの少しひどくなったような
お腹の中がキューーーーッと小さくなる感覚
もしや?と思いつつも、気のせいだったら…とややしばらく耐えていました
しかしまた10分後、うーーーーんいたたた痛い!
時間を計ってみると不規則ではあるものの15〜10分間隔
でもまだひとりで我慢できるほどの痛み、これが陣痛?
疑心暗鬼のわたし
それが0時回った頃、お手洗いに立つと突然の出血!?
いよいよおしるしの到来です
戻って「おしるしきた」という私の呟きにガバッ!と飛び起きた彼
産婆さんが健診でおしるしや陣痛のメカニズムを
こと細かに教えてくれていたこともあってか
彼もそれが何を意味するのか当然、察知してくれていたようでした
(※おしるしは、赤ちゃんが降りてきて子宮が収縮すると
今までくっついていた卵膜と子宮の壁がはがれてそこから出血するのだそうです)
とはいえ陣痛じゃなかったら?と疑い深い私、その時助産師さんに送ったメールがこれでした
まだ余裕があったのですね
今考えればメールに気付いて起きてくださったからいいものの
そこは電話でしょ!と我ながらのマイペースぶり
「間隔は?」との問いに「7分ぐらいです」とお返事をしました
普通に病院で産む場合、この辺りからバタバタし出すのでは?と思うのですが
その点うちは自宅は待っているだけ
外はおそらく結構な量の雪が降っていたと思うのですが、移動の心配もいらず
ただ、家で痛さに耐えていればいいというのは、とても楽でした
あの痛みの中、夜道を病院までいくなんて荒技、私には到底無理だったように思うのだけれど
日本の妊婦さんの99%以上がそれをやってのけるっていうんだからすごいですよね
(自宅出産率は全体の1%なんだそうです)
「今から向かいます」とのメールを頂いたのが0:30
「お風呂入っていいですか?」と、これまた悠長なメールを返している私です
痛かったはずなのに「しばらく入れなくなる!」とその点は冷静だったよう
やっぱりマイペースです
「お産が進んでしまうので私が着いてからにしてください」と言われ
お布団を敷いてもらい、お風呂を入れて準備
このあたりから、そろそろ痛みが尋常じゃなくなってきました
間隔は3〜4分
痛くない時はまったく平気なのに
痛い時は「うぅぅぅぅぅぅ」と悶絶して動けなくなっていました
「そろそろ着きますので、お風呂いいですよ〜」と1:15
悶絶しながら服を脱いで、髪の毛を洗い、湯船にふぅ
お湯につかると陣痛が和らぐようです
ピーンポーン!産婆さんがいらっしゃったみたい
上がろうと思ったらまた、うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ
ふーん 涙 動けないよぉぉぉぉ
なんとかお風呂からあがると
「あら?まだ入っていてよかったのに、痛み逃しのための入浴でしょ?
あがったら痛いわよ〜」と産婆さん
え?頑張ってあがったのに?
「じゃぁ、また入りますって痛い、痛い!いたたたたたたたたたた」
またお風呂に入れるわけもなく、そのままお布団に倒れ込み
この辺りから時間の感覚と記憶があまりありません
はじめてのお産は、短くても陣痛が始まってから12時間はかかりますから
病院と違って、子宮口が何センチというような内診は一切しませんから
よっぽどのことがない限り2日だろうが3日かかろうが私の判断でお産をしますね
朦朧とする痛みの中、いつかの産婆さんの言葉が言っていたことが頭をめぐっています
「早くても朝の10時か、もうこの痛みからは産むまで逃れられないんだ」
文字通り、腹を据えて覚悟をきめました
お部屋の真ん中に敷いたいつもの布団に、凭れ込むように横になり
服もいつものものを着たまま
横向き、うつ伏せ、どんな姿勢をしちゃ駄目なんてことも言われません
痛みに耐えやすい体勢を探して、痛みがくると
産婆さんが服の上から腰と肛門あたりをぎゅーっと押してくれます
痛みは波が押し寄せてくるようにやって来て
また波が引いていくようにひいていきます
本当にまるで潮の満ち引きのよう
波は時間がたつにつれてどんどんと高くなっていきます
満ち引きの間のスパンも段々と短くなってきています
もの凄い痛みの中
「もうもうパニックよ。でも大丈夫絶対産まれるから」
「ちか、痛い、痛いょ。けど、必ず終わりは来るから」
「元気なお子さんを!楽しみにしています」
「ちかちゃん頑張って!安産祈ってるよ〜」
妊娠期にみんなからかけてもらった言葉の数々が
頭の中でずっとずっと谺していました
そんな中、彼は私の両手をずっと握っていてくれました
お布団だったため、捕まるところがなかった私、この両手が唯一の拠り所でした
彼が産婆さんに頼まれごとをして傍にいないときが、本当にキツかった
ほんの数分なんですけどね
捕まるところがどうこう、というよりも、精神的なものが大きかったのだと今は思います
「いたーーーーーい!」といくら叫んでも淡々と腰をさする産婆さん
どれだけ悶絶しようとも、爪を立てられようとも
下手に「ガンバレ」なんて声かけをすることもなくただそこに居てくれた彼
今思うと産婆さんも、彼も、余計なことを言わないでいてくれたことと
自宅で、私の意識を削ぐものが何も無かったことで
私はお産に集中できたのかもしれません
朦朧としていく意識の中で、痛みに耐える自分の手が
力を入れ過ぎて震えている光景を覚えています
きっと彼は相当痛かったこと思います
文句ひとつ言わず、ただただ手を握っていてくれた彼に感謝
まぁ、とはいえ陣痛の方が何百倍も痛いんですけどね(笑
そんなわけで、この陣痛朝方まで続くのでした
長くなってしまうので、お産本丸のお話は次回to be continuedお楽しみに