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満月の朝に生まれました
3044gの女の子でした
母子ともにとても元気です
とてもとても幸せなお産でした
命ってすごい
今はただそれだけです
みんな、ありがとう
思うこと感じることはたくさんあるのだけれど
今ふと頭に浮かぶのは
大好きな彼女がおっしゃっていたひとこと
「子どもは産みなさい。
女性は子を産むことで、一人の女から、女の中の一人になる」
谷岡くにこ(元参議院議員・みどりの風党首)
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予定日から明日で一週間
母によると私も一週間遅かったそう
次の満月かもしれませんね
時間に余裕がある今のうちにと、実家から貰ってきたさらしを縫ったりしていたら、こんな一枚を見つけました
寿
昭和五十八年七月吉日
と書かれている赤い文字は、まぎれもなく父の字
私の誕生日は昭和58年12月
きっと、私がまだ母のお腹の中にいる時に、母が巻いていた腹帯
妊娠5ヶ月を迎えた戌の日に、お参りに行ったのでしょうね
そうして産まれてきた私
そして今、自分のお腹の中で元気に動いているにいる赤ちゃんを感じて
なぜか、涙が込み上げてくるようでした
思い起こしてみれば30年、小さい頃から「悲しいこと」「怖いこと」をイメージしては「どうして生まれてきたんだろう」とよく考える子どもでした
幼稚園生ぐらいだったころ、母と一緒にスーパーへ買物に行って「車の中で待っててね」と言われ、待つほんの少しの間「このままお母さんが殺されて帰ってこなかったらどうしよう」とか「怪獣が来てここを襲って行ったらわたしはどうなっちゃうんだろう」とかそんなことばかりを考えて不安になっていたことを思い出しますし、思春期には(というか、20代の半ばぐらいまでは)嬉しいこと、幸せだなぁと感じる出来事があるとその度に「今が絶頂。ということは次は下がるだけ。この後どんな辛いことが待ち受けているんだろう。こんなに辛い人生なのにどうして人は生きているんだろう」といつもブルーになっていました
今考えてみると、生きづらかったんでしょうね、とても
まぁ、その生きづらさを露呈した、最たるものが私にとっては震災で、原発事故だったわけで、とどめだった訳です。だから当時は「こんな社会に子どもなんて絶対生みたくない。産んだって不幸になるだけ」と心から思いました
そんな私が、こうして身ごもってお腹の中にもうひとつ命を抱きながら、母のつけた腹帯を感慨深げに眺めていることを、客観的に考えると、矛盾だらけで、自分でもこの変化を言葉にすることがとても難しい
でも今我が子にかける言葉があるとしたら「人生は素晴らしいし、楽しい。だから安心して産まれておいで」の一言です
人は産まれてきた時から、お腹の中に宿ったその時から、死にむかっています
でも、死ぬことを考えて生まれてくる赤ちゃんなんていません
人はみんな幸せになるために生まれてくる
例え、死に向かって日々近づいていくのであったとしても、その日々の中で幸せになるために生まれてくる、と信じてやみません
掛け替えのない人に出会ったり、心が表れるような風景や景色美しいものに触れたり、誰かの役にたてた喜びを覚えたり、真理を垣間みることができたり、努力が報われたり、数えきれない人生に起こる「有り難い」を味わうために生まれてくると思うのです
そりゃ、苦しいこともたくさんあります
もう、幸せになることを諦めて死んでしまった方がどんなに楽だろうと考えることも、私は1度や2度ではなかった
でも、私の30年足らずの人生においては、今のところそれら死にたくなるような出来事は「人生ってなんて素晴らしいんだろう!」と涙が出るほど嬉しい出来事の莟のようなものでした。その莟が大きければ大きいほど、咲く花も大きくて美しいんです
だからこの子には、たくさんたくさん経験して、大いに冒険して、人生の与えられた時間を謳歌してもらいたいと心から思います
確かに今の世の中は生きづらい
でも、
それでも、
生まれくるだけの価値は有る
あんなにメソメソしていたわたしがね
これが母の強さか?と言われればそうなのかもしれない、でも命ってそれだけのパワーと希望を与えてくれる
こうして大切に生んでくれた両親がいたから、私はこの人生の有り難さを味わえています
こうして産まれてくる赤ちゃんを待つことも、またそのひとつ
あらためて、両親にありがとう、と、記してその日を待ちたいと思います
1月11日、ぶじ臨月をむかえました
どんな顔してるんだろう
どんな子に育つんだろう
思うことはたくさんあるけど
今はただ、げんきに生まれてきてくれさえすればいい
わたしの体の中に心ぞうがふたつ
不思議で幸せでたまらない
photo:TOWA(http://towa.us/)
place:たべるとくらしの研究所
(http://www.taberutokurashi.com/)
『避難先と避難元とをつなげる番組を作るんだ!』
『この現状をもっともっと多くの人に知ってもらわなきゃ!』
淋しさを紛らわすように、
目に見えないなにかに突き動かされるように、
番組をはじめたのは避難してきた年の冬、まだ雪の残る去年の3月のコトでした。
毎週木曜日22:00から1時間、プロデューサーもいなければ、ディレクターもいない、アシスタントすらいない中、たったひとりで企画・編集・放送と番組パーソナリティをつとめてきたこの番組も今夜の放送で86回目を迎えます。こうして書いてみると、まるで一人芝居をしている芸人みたいですね(笑)。
気付けば1年8ヶ月、一週も休むことなく、よくやってきた。と自分でもビックリ。
それくらい当時は「私がやらなきゃ!」って気持ちが強かったのかも知れません。
地元郡山コミュニティ放送、南相馬ひばりFM、シーウェーブFMいわき
そして避難先の札幌FMドラマシティさんからご縁を頂き、ラジオでは4局放送。
ユーストリームの視聴者は全国10,000人を超えていました。
10,000人ってすごいですね。それをだけでも感無量です。
今年の311を迎えた頃から考え始めていた
これからの「カラカラソワカ」の行く先。
「確かに避難生活や原発事故の状況は変わらないけれど、伝え続けなければいけない状況ではあるけれど、哀しく辛く伝え続けるのはきっともうフェイズが違う。」
「これから先も、ずっとずっと続けて行きたいけれど、だとするのであればもっとフレキシブルに形を変えて『楽しさやコレカラノコト』にフォーカスした番組が作りたい。」そんな思いが私の中に沸き上がってくるようになっていました。
そんな時に身ごもったのがこの新しい命でした。
妊娠初期は、母である自分とパーソナリティとして人前に出ていく自分との切り替えができなくて苦しかったり、近頃はお腹でウネウネと動くこの子の胎動を感じながら皆さんから頂くひとつひとつのメッセージを読ませて頂いたりしていました。
「分娩台の上から伝える訳にいかないし、カラソワどうしよう…」
1人でやっているからこそブチ当たった壁でもありました。
今年8月からはサポートを受けていた、あったかい道からの資金面独立も重なり、そこを含めてどうするのか?考えることになりました。
さんざん、本当にさんざん。
悩んだ末、10月いっぱいで放送を一度お休みさせて頂くことにしました。
いつも聴いて頂くリスナーの方々の顔を思い出すと、胸がチクチクします。もちろん、レギュラーの放送をお休みして、きちんと戻って来れるか不安がない訳ではありません。
でも、何よりも、今はこの命を大切にしたいこと。
それから、私自身、一度時間をおいてコレカラ必要なコトを客観的に見てみたいこと。
続けていくためにも、無理なく続けられる体制をきちんと整備したいこと。
今のカラカラソワカにとって何ものにも代え難い大きな3つの理由です。
わたしがわたしらしく、伝え続けられるような番組
聴いてくれる誰かがチョッピリ笑顔になるような番組
でも、きちんと真髄を伝えられる番組づくりができるようになるまで、わたしのわがままではありますが、少しの間お時間を頂きたいと思います。
シーウェーブFMいわきのアベ局長に相談したときの
「大丈夫。僕らもリスナーも待ってるから。帰ってくるのが一年たっても2年たってもいいじゃない!待ってるよ。」
その一言に涙が溢れました。
リスナーのみなさんの「おめでとう!」が心から嬉しかった。
本当に今まで支えて頂いていた数えきれない人たちがいてくれたから、今日という日を迎えられたと思っています。
残念ながら、今夜が最後の放送となります。
今夜も感謝を胸に精一杯1時間!お伝えしたいと思います。
ここカラ、今カラ、私から、あなたから、幸せ(=ソワカ)になっていきましょうね♡
札幌と福島がシンビオーシス!(SYMBIOSIS=共生)
新たな時代の幕開けな気が益々してきたよっ
おはなしんびお。たくさんきてくれて嬉しい限りです♡
今日も売り子さん。Fes気分でこんな感じです。昨日全然取れなかった展示販売の写真たち。一気にアップぅ!
①さちり陶、鳩のブローチが人気でーす♡
②キッチュナのベレー帽、今日はあたしもかぶってきたにょ。
③さすがのたべけんさん。昨日で完売したこがしキャラメル、再発注しました!
④ひと粒、赤べこと起き上がり小法師ちゃんたちが、ひとつひとつ札幌の人たちに引き取られていくのって、なんか嬉しぃ♡
⑤板木最近号、噂のいか人参の作り方、載ってますょん。バードパークみおさん、メニュー化たのしみにしてますねん!
すごいょ。おはなしんびお、最終日人が会場から溢れてる。この後、まとめ切れるか、いや、大丈夫。今日には今日のストーリーがきっとあるのだ。