予定日から明日で一週間
母によると私も一週間遅かったそう
次の満月かもしれませんね
時間に余裕がある今のうちにと、実家から貰ってきたさらしを縫ったりしていたら、こんな一枚を見つけました
寿
昭和五十八年七月吉日
と書かれている赤い文字は、まぎれもなく父の字
私の誕生日は昭和58年12月
きっと、私がまだ母のお腹の中にいる時に、母が巻いていた腹帯
妊娠5ヶ月を迎えた戌の日に、お参りに行ったのでしょうね
そうして産まれてきた私
そして今、自分のお腹の中で元気に動いているにいる赤ちゃんを感じて
なぜか、涙が込み上げてくるようでした
思い起こしてみれば30年、小さい頃から「悲しいこと」「怖いこと」をイメージしては「どうして生まれてきたんだろう」とよく考える子どもでした
幼稚園生ぐらいだったころ、母と一緒にスーパーへ買物に行って「車の中で待っててね」と言われ、待つほんの少しの間「このままお母さんが殺されて帰ってこなかったらどうしよう」とか「怪獣が来てここを襲って行ったらわたしはどうなっちゃうんだろう」とかそんなことばかりを考えて不安になっていたことを思い出しますし、思春期には(というか、20代の半ばぐらいまでは)嬉しいこと、幸せだなぁと感じる出来事があるとその度に「今が絶頂。ということは次は下がるだけ。この後どんな辛いことが待ち受けているんだろう。こんなに辛い人生なのにどうして人は生きているんだろう」といつもブルーになっていました
今考えてみると、生きづらかったんでしょうね、とても
まぁ、その生きづらさを露呈した、最たるものが私にとっては震災で、原発事故だったわけで、とどめだった訳です。だから当時は「こんな社会に子どもなんて絶対生みたくない。産んだって不幸になるだけ」と心から思いました
そんな私が、こうして身ごもってお腹の中にもうひとつ命を抱きながら、母のつけた腹帯を感慨深げに眺めていることを、客観的に考えると、矛盾だらけで、自分でもこの変化を言葉にすることがとても難しい
でも今我が子にかける言葉があるとしたら「人生は素晴らしいし、楽しい。だから安心して産まれておいで」の一言です
人は産まれてきた時から、お腹の中に宿ったその時から、死にむかっています
でも、死ぬことを考えて生まれてくる赤ちゃんなんていません
人はみんな幸せになるために生まれてくる
例え、死に向かって日々近づいていくのであったとしても、その日々の中で幸せになるために生まれてくる、と信じてやみません
掛け替えのない人に出会ったり、心が表れるような風景や景色美しいものに触れたり、誰かの役にたてた喜びを覚えたり、真理を垣間みることができたり、努力が報われたり、数えきれない人生に起こる「有り難い」を味わうために生まれてくると思うのです
そりゃ、苦しいこともたくさんあります
もう、幸せになることを諦めて死んでしまった方がどんなに楽だろうと考えることも、私は1度や2度ではなかった
でも、私の30年足らずの人生においては、今のところそれら死にたくなるような出来事は「人生ってなんて素晴らしいんだろう!」と涙が出るほど嬉しい出来事の莟のようなものでした。その莟が大きければ大きいほど、咲く花も大きくて美しいんです
だからこの子には、たくさんたくさん経験して、大いに冒険して、人生の与えられた時間を謳歌してもらいたいと心から思います
確かに今の世の中は生きづらい
でも、
それでも、
生まれくるだけの価値は有る
あんなにメソメソしていたわたしがね
これが母の強さか?と言われればそうなのかもしれない、でも命ってそれだけのパワーと希望を与えてくれる
こうして大切に生んでくれた両親がいたから、私はこの人生の有り難さを味わえています
こうして産まれてくる赤ちゃんを待つことも、またそのひとつ
あらためて、両親にありがとう、と、記してその日を待ちたいと思います
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