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CHIKA J SHISHIDO OFFICIAL WEBSITE
12 / 24 Tue 22:41 ×
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09 / 19 Fri 07:09 #宍戸慈 ×


ひと粒で、対話師のマイさんに出会った。前にみた映画「神様とのやくそく」にも出て来ていた赤ちゃんに話がわかるという対話師。半信半疑ならが、会ってみたいなと思っていたら、ひょんなことから出逢えたのだった。ひと粒のしおりさんから話は聞いていたのだけれど、やっぱり独特のオーラを持った人だった。出会った瞬間からずーっとまいさんを凝視のコマさん。「なぁに?何を聞いてほしいの?」というマイさんを、じーっとまん丸おめめでまっすぐしばらく見つめ続けていた。

ピラティスのレッスンが終わって夜、コマさんが寝てからみんなでひと粒で酒盛り。
ちょうどアクセサリーの展示に東京から来ているヨシさんも一緒で、bakuの夢ちゃんの作る、ご馳走が次から次へとテーブルに並んでいた。中でも夢ちゃんママの作った梅ジャムがお気に入りの私。みんなで食べるご飯はやっぱり楽しい。コマさんは2階でぐっすり。こんな時間本当に久々だった。

そんな時マイさんがぽつりぽつりと話し出した。
「そうそう、コマちゃんね『こうじゃなきゃいけない、こうでなくちゃとか、そういうじゃないって言ってたよ。ママが思ってるママの姿は、本当のママじゃないって。ママの周りにいる人たちは、そのままのママを出していい人たちだよ。』って言ってたよ。可能性も広がるって」
もっと複雑なことを言っていた気がするのだけれど、最近ずっと自分のあり方?みたいなものを考えてぐるぐるしていた私にとってはあまりに直球すぎる言葉で、一瞬にして固まってしまった。サワサワサワーっと、背筋から鳥肌が…、誰にも言っていなかったそんな話。何でそんなことを知ってるの?!コマさん?マイさん?びっくりし過ぎて、言っていた言葉も感覚でしか覚えていない。

「ちかちゃんは、本当は赤ちゃんみたいな人なんだね。」ギャル系アイドルのような高めのかわいい声でマイさんは続ける。「すごく柔らかくて意識より感覚のヒト。それなのに、色々いろいろ背負っちゃって、意識で一生懸命強くなろうとしてきたでしょ。それをやめたら?ってことなんだと思うよ。コマちゃんには窮屈に見えたみたい。そういうタイミングなのかもね。」さらりと言う。

少しテンパリ気味「こわいこわいこわいこわい!」という私に
「マイさんね、こわいこといっぱい言うから、本当にびっくりするよ。」夢ちゃん。
こんな人っているんだね。やーびっくりした。

マイさん曰く、赤ちゃんは、お父さんとお母さんにひとつずつ教えることを持ってくるのだそうな。
そうだよね。赤ちゃんは話せない分たくさんのことを感じているし、わかっている。
きっと私なんかより何でも見えてるんだと思う。
何でも知ってるんだよね。
そう思ったら、とてもとてもありがたく、このところずっと胸の中でモヤモヤしていたことがすっと腑に落ちたというかなくなったというか、とても楽になった。

宴もたけなわで、おひらき。
上へあがってコマさんと同じ布団に入った私。
スヤスヤ寝ている彼女を抱き寄せて、そっとおでこにキス。
ありがとう、ありがとう。
ママ、もっと素直に心のままに生きてみるね。
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09 / 08 Mon 23:00 #宍戸慈 ×

中秋の名月らしい。SNSのタイムラインにはお月見の画像なんかが上がっているけど、札幌のマンションの5階のベランダから月はみえず、どこからともなく鈴虫の鳴く声と、ひんやり肌をかすめる空気。

動いた1日。
昨日に引き続き、ピラティス。
今日は友人、暮らしかた冒険家のジョニィのもとへ。
ジョニィとは、ウェブのお仕事をお願いするのと技技交換でピラティスをすることになった。技技交換とは彼らが提唱する金銭を介在しない仕事のやりかた。お互い自分のできる分だけ、してもったありがとうの分だけ。win×win。そうなのだ!前からこういうことができる相手を探していたのだ!それも随分前からそれを実践している冒険家夫妻。最高である。

そんなわけで今回で2回目。
体は柔らかいのに筋肉が本当に少ないジョニィ。
11月にはベイビーが生まれてくるのにこれでは少々心もとない。
そんな彼を鍛えるため今日はマンツーマンで、がっつりレッスンをした。
私もジョニィもじっとりと、体幹から汗。ひえー、ひさしぶりにがっつりピラティス。あたしもだいぶ筋肉使ったぜ。と汗を拭っていたら、「ちかちゃんさ、俺みたいなフリーランス、パソコン男子向けのピラティスってありだと思う。」と言われた。

目から鱗だった。思えば私のレッスンに一度来てくれた男性は決まってリピーターになってくれているにも関わらず、そこは全くと言っていいほどターゲットから外れていたのである。なんということだろう、あたしとしたことが盲点であった。

できるだけ医療に依存しない、自分で自分の体をメンテナンス自己管理できるようなるようにってレッスンしているのに、なぜかそこに無意識の「女性」フィルターがかかっていたのだった。健康になるのに男も女も関係ないのにね。家族で元気になれたらいいじゃない。意外と男の人の方が筋肉とか好きだよね、たしかに。ジョニィの一言に感謝。

レッスンにカテゴリ分けをしてみても良いのかも知れないと妄想中。
マタニティピラティス、デスクワーク男子ピラティス、24節気のピラティス…

こんな風に頭が稼働するようになったのも、ようやっと。

子育てや家事に没頭していると仕事の仕方を忘れてしまってゆくものなのか。
それとも、本能的に出産の痛みを忘れるために頭の使い方を忘れていたのか。
でもやはり頭を使って、誰のためにどうしたらいい?って考えるのは楽しい。
一度仕事の楽しさを知ってしまうと、家族がなくては生きられないけれど、家族のためだけにも生きられないのかも知れない。


09 / 03 Wed 21:36 #宍戸慈 ×


来週から1週間福島に帰るので、その用意でバタバタ。
仕事もすすめなくちゃ、と気も漫ろ。
そんな日の夕暮れ時はきまってコマさんが泣き出す。
オッパイでもおしっこでもない、パパに抱っこされても、ママに抱っこされてもただただただただ泣き続ける。まるでこの世の終わりのような勢い。「心ココにあらず」を察知している模様。「ちゃんとあたしを見てよ〜」と泣いているのが伝わってくる。

そうだね、そうだったね。ごめんね。
いつも母は泣かれてからでないと気付かない。
だって、したいことも、やらなきゃいけないこともいっぱいなのだもの。
でも、そうして泣いている姿を見ていると「そうだよね、あなた赤ちゃんなんだもんね。そして赤ちゃんでいるのは今だけなんだもんね。」と気付かされる。赤ちゃんはいつだって、先生なのだ。

我が家では、そんなギャン泣きの時は一切あやす事をしない。
かといって放置もしないが、抱っこして泣かせっぱなし。することといったら、仰け反って腕から転がり落ちそうになるのをひたすら抱き直すくらい。

産まれた直後は、泣くってことは駄目な事。という固定概念があって、泣いたらすぐにオッパイをあげてみたり、揺らしてみたり、散歩に出かけてみたりとにかく泣き止ませようと必死だった。旦那のこうちゃんは意外とそこは肝要で「泣きたいんだよ」と言っていたのだけれど「泣いている→泣かせているあたしがいけない」という無意識のスイッチが入っていた私の耳にはそんな言葉は、全く入っていなかったのだった。

そんなある時、友人親子と家族ぐるみでご飯を食べているとき、例によってコマが泣き出したことがあった。友人に抱っこされていたコマを預かろうとする私に「私は大丈夫だから、お母さんが辛かったらあれだけど、大丈夫だったら、たくさん泣かせてあげて。私抱っこしてるから」と優しく伝えてそのまま抱いていてくれた。
「泣きたいんだよね〜。コマちゃんだって泣きたい時だってあるよね〜。いくらでも泣いていいんだよ〜」と彼女がいうと、ダムが決壊したかのような猛烈な勢いで泣き出したコマ。まるで今まで溜め込んでいたものを出し切るように力一杯泣いたのだった。ものすごく驚いた。
この人は泣いてもいい人なんだ。と言わんばかりに泣く我が子をただただ見ていて、どこか私も胸のつかえがすーっと解消されていくような感覚を覚えた。そして、ただただ泣き続け、泣き続け、泣きつかれたのか、彼女のタイミングでスッと泣き止んだのだった。

その日の夜の寝付きはいままでにないほどによく、次の日の感情表現の豊かさたるや目を見張るものがあった。そんな経験をしてからというもの、泣きたい時には泣かせる。そんな方針が我が家ではデフォルトとなった。その後のコマは、全くと言っていいほど無駄泣き(原因不明のぐずり)をしなくなった。

大人だって泣きたい時はある。
そんな時に泣けなかったらストレスじゃないか。
ましてや口のきけないベビーだもの、伝えたいことが伝わらなくて、もどかしかったり、苦しかったり、悲しかったり…きっと彼女なりに日々ストレスがかかっているはず。それが泣くことで解消されたのならいいじゃないか。感情を押し殺さず、上手に出すことができたら◎。
だから、泣きたい時は泣いていいんだよ〜。
そう思えるようになったのも、その友人のお陰なのである。

持つべき者は、友。
といっても、私の20歳は年上の友人。
しかも車いすに乗った障害者。ほんとステキな人なんです。その話はまたいつか。

コマさん、今日もストレス発散しましたね。よかったよかった。
とはいえ、泣かれるのはそれはそれで大変なのだけどね(笑


09 / 02 Tue 21:06 #宍戸慈 ×


前から気になっていたコマさんのオムツかぶれ。
丁寧にふいても、様子を見ていてもなかなか治らない。
産まれてから半年間一度もかぶれた事なんてなかったのに。
離乳食もどき(なんとなくほしがったらあげる的な)をはじめた時期と、出始めた時期がなんとなくかぶっているような気がする。

そんな母の勘から、信頼する産婆さんに
もしかして?と聞いてみたところやっぱりでした。

原因は果物。

じゃないかと。果糖なめてました。
たしかにここのところ、無農薬自然栽培のだからいいか!と、桃やトマトを与えたりしていました。たしかに、その時期と出始めた時期はかぶっておりまする。
そういうことだったのね。

産婆さん曰く、しばらくずっと果物はあげなくてOkとのこと。
なんなら夏野菜もいらないとのこと。
昔はまずは果物から、って風潮もあったみたいだけど、時代とともに離乳食のことも色々変わって来ているんですね。明日からしばらくはコマさん、玄米菜食(秋冬野菜オンリー)&おっぱいに切り替えます。

これでよくなるといいなー。



09 / 02 Tue 17:39 #宍戸慈 ×


朝から玄米を一升炊きし、おっぱいとウンチとおしっこと、洗濯物と…をこなして、撮影に出かける。兼ねてよりお願いしていた、プロフィール写真の撮影。

円山の原生林にはじめて足を踏み入れた。
札幌にきてから次の冬がきたら丸3年が経とうとしているというのに、家から歩いて20分とかからないところに、こんなにパワーに満ちあふれた場所があったことを、いまさらながらに気づく。今までどんなに周りが見えていなかったことか。

樹齢何百年の木々が、ラピュタのお城の木のように大きな枝葉をのばし、ごつごつした立派な根が地に足を下ろしていた。大木の幹の根本、葉と葉の間から木漏れ日が差し込んでいる。
カサカサカサ。リス?昆虫?人間ではない自然界の住人たちの息づかいが聞こえる。
なんてパワーなんだろう。一瞬たじろいでしまうほどの神々しさ。
わたしたちは、彼らと共存させてもらっている自然の中の一部なのだと一瞬にして思い知らされた。

お代は技技交換!ということで、午後からはカメラマンのN氏の赤ちゃんのベビーシッターに。
コマさんと1日ちがいのベイビー。それなのにできることが全然違う。
軽々お尻を上げて、ひょいっと自分で一人座り。
それをじーっと見るこまさん。(彼女はまだそんな芸当はできない)
こんなに小さい時から、個性なんだね。
みんなちがくて、みんないい。
あなたたちは、どんなお友だちになるのか、今から母は楽しみで仕方ない。

家に帰ってからN氏からメッセージがきていた
「写真はまだ仕上げていないのですが、木の下で撮った写真に、オーラが写っていましたよ。右手付近。楽しみにしていてください。」
感じた神々しさは本物だったみたい。お邪魔しました。また明日から自然に感謝して、ありがとう、と生きますね。



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