来週から1週間福島に帰るので、その用意でバタバタ。
仕事もすすめなくちゃ、と気も漫ろ。
そんな日の夕暮れ時はきまってコマさんが泣き出す。
オッパイでもおしっこでもない、パパに抱っこされても、ママに抱っこされてもただただただただ泣き続ける。まるでこの世の終わりのような勢い。「心ココにあらず」を察知している模様。「ちゃんとあたしを見てよ〜」と泣いているのが伝わってくる。
そうだね、そうだったね。ごめんね。
いつも母は泣かれてからでないと気付かない。
だって、したいことも、やらなきゃいけないこともいっぱいなのだもの。
でも、そうして泣いている姿を見ていると「そうだよね、あなた赤ちゃんなんだもんね。そして赤ちゃんでいるのは今だけなんだもんね。」と気付かされる。赤ちゃんはいつだって、先生なのだ。
我が家では、そんなギャン泣きの時は一切あやす事をしない。
かといって放置もしないが、抱っこして泣かせっぱなし。することといったら、仰け反って腕から転がり落ちそうになるのをひたすら抱き直すくらい。
産まれた直後は、泣くってことは駄目な事。という固定概念があって、泣いたらすぐにオッパイをあげてみたり、揺らしてみたり、散歩に出かけてみたりとにかく泣き止ませようと必死だった。旦那のこうちゃんは意外とそこは肝要で「泣きたいんだよ」と言っていたのだけれど「泣いている→泣かせているあたしがいけない」という無意識のスイッチが入っていた私の耳にはそんな言葉は、全く入っていなかったのだった。
そんなある時、友人親子と家族ぐるみでご飯を食べているとき、例によってコマが泣き出したことがあった。友人に抱っこされていたコマを預かろうとする私に「私は大丈夫だから、お母さんが辛かったらあれだけど、大丈夫だったら、たくさん泣かせてあげて。私抱っこしてるから」と優しく伝えてそのまま抱いていてくれた。
「泣きたいんだよね〜。コマちゃんだって泣きたい時だってあるよね〜。いくらでも泣いていいんだよ〜」と彼女がいうと、ダムが決壊したかのような猛烈な勢いで泣き出したコマ。まるで今まで溜め込んでいたものを出し切るように力一杯泣いたのだった。ものすごく驚いた。
この人は泣いてもいい人なんだ。と言わんばかりに泣く我が子をただただ見ていて、どこか私も胸のつかえがすーっと解消されていくような感覚を覚えた。そして、ただただ泣き続け、泣き続け、泣きつかれたのか、彼女のタイミングでスッと泣き止んだのだった。
その日の夜の寝付きはいままでにないほどによく、次の日の感情表現の豊かさたるや目を見張るものがあった。そんな経験をしてからというもの、泣きたい時には泣かせる。そんな方針が我が家ではデフォルトとなった。その後のコマは、全くと言っていいほど無駄泣き(原因不明のぐずり)をしなくなった。
大人だって泣きたい時はある。
そんな時に泣けなかったらストレスじゃないか。
ましてや口のきけないベビーだもの、伝えたいことが伝わらなくて、もどかしかったり、苦しかったり、悲しかったり…きっと彼女なりに日々ストレスがかかっているはず。それが泣くことで解消されたのならいいじゃないか。感情を押し殺さず、上手に出すことができたら◎。
だから、泣きたい時は泣いていいんだよ〜。
そう思えるようになったのも、その友人のお陰なのである。
持つべき者は、友。
といっても、私の20歳は年上の友人。
しかも車いすに乗った障害者。ほんとステキな人なんです。その話はまたいつか。
コマさん、今日もストレス発散しましたね。よかったよかった。
とはいえ、泣かれるのはそれはそれで大変なのだけどね(笑
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