×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
Video streaming by Ustream 昨日、福島県の双葉町の町長が辞任をされました。 http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130123.html/ http://www.ustream.tv/recorded/28763969
事故から1年10ヶ月と12日 闘いつづけた町長の
心の声、魂の声が 双葉町のホームページに掲載されています。
ある時、集会で斜め前に座っていた町長。
双葉町の住民の方から罵声を浴びせられるのを
小さな体でぐっと受け止めながら
決して感情的になるのでなく 発言される方をまっすぐに見つめる目が忘れません。
原発事故が起きたとき
トップとはなんと孤独なのでしょう。
残念ながらなんと非力なのでしょう。
そして井戸川さんは、なんと勇敢な方だったのでしょう。
その今まで見えていなかった事実が、 このメッセージにありありと浮かび上がっているように思います。
この声は、決してネットだけ一過性のものや 福島や日本だけのものにしてはいけない。
事故のあるなしに関係なく、教訓として学びたい事実やメッセージが たくさん詰め込まれています。
でも、きっと普通のニュースでは全部紹介しきれないですよね。
なので昨日のカラソワ後半の時間を使って、
このメッセージの全文を朗読させていただきました。
お恥ずかしながら…漢字の読み間違えもあり拙い朗読です。
その恥ずかしさを押してでも、読む時間のない人には 聞いてみてほしいメッセージ。
40分頃からです。
井戸川さんに感謝と労い、そしてバトンを受け取った気概をこめて。
peach heartへの寄付の御礼と
ご挨拶かたがた JTBトラベルカレッジさんに行ってきました。
この中で被災地に行ったことのある人を聞いてみたらクラスに2人でした。
そっか、それが現状だよね…と思っていたら。
JTBの毛利さん影山さんが
『これから就職!というみんなには、社会に出る前に、 きっと現場を一度みてみてほしい!
きっと人生観が変わるはず! 社会に出てきっと役に立つから。』
と力説してくださってとても嬉しくなりました。
今日は、阪神淡路から18年ですね。
あの時、みんなぐらいの年齢で 震災の現場でボランティアや支援を行っていた方々が
今、社会のキーマンとなり、私たちを支えてくれています。
もしも、彼らが阪神淡路を見ていなかったら その時の経験がなかったら、
今日の東日本はきっともっともっと大変なことだろうと思います。
今、次の世代とシェアしておきたい種が 被災地にはまだまだ、たくさんありますね。
福島だけじゃない。宮城や岩手もそう。 ただ、感じるだけ、見るだけでもいい。
若いうちに、感受性が豊かなうちに、一人でも多く触れてほしいなとつよく思いました。
毛利さん、影山さん、坪井さん、そしてJTBトラベルカレッジさん、ありがとうございました。
陸前高田の災害FMで地域に残された人たちと、今日も頑張り続けている阿部裕美さん。
彼女と出会ったのは昨年の12月のことでした。
「いっぽいっぽ進んでは戻り、また進んで戻って…まだまだそんな感じですよ。」
津波でも放射能でも、この感覚は一緒。
彼女に会って、そんな話ができて、共感できて、
陸前高田がとても近くなりました。
そんな裕美さんに起きた成人式の奇跡。
彼女のFBから引用させて頂きます。
日々がんばる裕美さんに、神様がくれたご褒美だったんじゃないかなー
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
昨日は、ひとり娘の成人式でした。
実は・・・こんなことがありました。
昨年の秋ごろ、そろそろ成人式の準備を始めようと思い娘と二人で仙台に振袖を見に行きました。 今の時代、着る機会もそんなにないだろうからレンタルにしましょうと話していたのですが、レンタル品ではない振袖を気に入ってしまいどうしてもこれじゃなきゃいやだ!と珍しく言い張るので、根負けして買うことに・・・(レンタル料も結構高かったのでまぁいいかと)。
振袖が決まると次は帯。すでに予算オーバーしているから帯は一番安いものの中から選んで間に合わせました。
それからしばらくして、津波で亡くなった母の親しい友人に偶然出会い立ち話をしました。
その方は「このあいだ中、ケイちゃん(私の母)が何日も何日も夢に出てきてなにか訴えるんだけど、声が聞こえなくてなんだかわからなくてさぁ。。。でも何日かしたら声が聞こえてくるようになって、どうしたの?ってきいたら『帯、帯!』っていうんだよ。なんだろうかねぇ」と話してくれました。 びっくりしました。母は、私の娘を誰よりもかわいがっていました。娘も誰よりもばあちゃんが大好きでした。
かわいい孫の成人式に、ケチって安物の帯でごまかした私のことをきっと怒っていたんだと思います。私は娘に事の顛末を話し、私が結婚する時に母が頑張って用意して持たせてくれた帯を娘に着せました。
式が終わってから、実家の跡地と両親が眠るお墓に行って孫の晴れ姿を見せてきました。この日を赤ちゃんの時から楽しみにしていたのに、いないんだもんなぁ。。。娘が選んだこの着物、なんだか母が好みそうな柄です。きっと見守ってくれているんだと思います。
