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03 / 29 Fri 06:36 #宍戸慈 ×
いつも、支え、一緒に歩んでくださるみなさんに
今日は大事なご報告があります。
この場を借りてお話しをさせてください。

私は宍戸慈は、去る2013年3月12日に結婚いたしました。
これからの人生を一緒に歩いていくパートナーを決めることができました。
これも偏にみなさんのお陰だと、感謝の気持ちでいっぱいです。

早いもので、あれから2年の月日が流れました。
本当に早い。でも色々あり過ぎた2年でしたね。
そしてまた、きっとこれから長く濃密な3年目になることでしょう。
そんな幕開け、ここに私の思いを綴ります。

春風に乗せて
ささやかな幸せのお裾分けを届けられたら幸いです。

2013年3月29日 宍戸慈


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死ぬ覚悟と負の感情

 やっぱり思い出すのは、忘れもしない2011年3月12日の夕方。私の原点はいつもここに戻ってきます。福島県郡山市にあるコミュニティFMココラジでの衝撃の一言『原発が爆発しちゃったの。』それを受けて、マイクに向かうまでの間、グッと心の中に刻んだ気持ちを、この2年間何度も何度も思い出し続けてきました。
 『この街の最後の1人になるまで伝え続ける』。ガソリンもなく、電気やガスや水道も止まっていて、原発への知識や情報など全くなかった。これからどうなるかなんて、誰もがわからなかったあの日。私は本気で一度、『死ぬ覚悟』をしました。それからの高線量の中での24時間の非常放送も、1人で決めた北海道への単身での避難も、福島と行ったり来たりのジプシーライフも、すべてはあの瞬間が始まりでした。
 また、この覚悟と同時に私の周りには、あれから常にマイナスな感情漂っていたように思います。「私は見捨てられてしまったんだ」という裏切られたような気持ち、事実と向き合う度に沸き上がってくる恐怖心、自分の気持ちを否定されてしまったり、本音を共有できないことの苦しさ、動けば動くほど孤独になっていく、淋しさと無力感…。
 月並みだけど心から。息を吸うこと、食べること、無条件に健康であること。安心して子どもを生むこと、生まれ育った故郷があること。そして何よりも、大切な友だちや家族、大好きな仲間たちが、いわれなき諍いなく、他愛もないことで笑いあえる日常が、どんなに幸せだったのかを嫌というほど噛み締めながら。無関心だった自分、何もできない自分を責めることも、とても多かった2年間だったように思います。


幸せになることを諦めていた

 それでも何もしないでいることができない性格で、永田町議員会館にも足しげく通い自分たちの声を届け、去年の8月6日には広島へ行き被爆者を語るしずこさんに逢い話を聞き、ついには11月チェルノブイリの被災地ウクライナにまで足を伸ばし26年後の現実を肌身に感じて伝えて…と、思いつく限りに動き回っていました。充実しているはずなのに、札幌に帰ってきても、福島の実家に戻ってもどこか落ち着かず「私のお家がない。お家はどこ?」と泣き崩れることも少なくありませんでした。今考えれば見えない何か、失った何かを探していたのかもしれません。そんな、ただただひたすらに向き合い続けてた日々もまもなく2年。心とカラダが悲鳴を上げてはじめて、気付けたことがありました。それは
 震災を盾に、放射能があることを理由に、私は、心のどこかで「幸せになること」を諦めていたのかも知れない。ということ。自分は不幸だと決めつけて、いつの間にか1人で立とうとしてた私。勝手に1人で背負おうと肩肘をはっていた私がいたのでした。
 気付くことができたきっかけは彼の一言でした。『それで結局どうしたいの?ちかちゃんが探しているのは居場所でしょ。ここに帰っておいで。』彼の言葉の裏に見えた覚悟と優しさが、その時の私にとってどんなに、有り難く尊いものだったかわかりませんでした。以前から仲は良かったものの、それから正式なお付き合いの期間をもつこともなく、話を進め始めてからわずか1ヶ月半での結婚と相成りました。


ふるさと、居場所。あいまいなそれぞれの喪失感。

 彼の実家は原発から20数kmの南相馬市にあり、津波と事故の影響にで7万人いた街の人口が、一時は1万人を切るほど被害を受ました。彼は、東京で3月12日を迎え『もう二度と故郷には帰れないかも知れない。』という、ふるさとを喪いかけた感覚は、自分はどこに生まれ何のために生きているのかわからなくなる。彼の言葉を借りるならばアイデンテティの喪失。
 そんな彼が仕事を辞め、地元に戻ってきたのは2011年12月のことで、ちょうどその頃北海道へと避難していく私とは真逆の選択でした。そして彼もまたこの2年、そんなあてなき喪失感の中で猛進してきたのだと話してくれました。彼と向き合うことで「喪失感は必ずしも一緒ではないし、それは人それぞれとても曖昧なものなのだ」ということを学ぶことができました。また、彼と私の中の「ここ」は、決してどこかの土地をさす言葉でもありません。ふるさと、居場所…それらも、それぞれの心の中にあるもので目に見えるカタチじゃなくてもいいんだ、と思うことができた瞬間でもありました。


二者択一ではない方法で乗り越えていく

 とはいっても、どこに住むの?どうやって暮らしていくの?ここからは、ロマンチックな夢物語だけでは進めないお話です。互いのやりたいことや、向かっている方向性は逆を向いているんじゃないか?実際問題、子どもを産んだらどこで育てていくのか?絶対にくさいものに蓋をしてはすすめない現実が、2人の前に横たわっていました。
 800kmも離れた場所で生活している2人が一緒にいるなんて無理?そもそもやめてしまおうか。放射能さえなければね。変えられない現実と、自分たちの想い。私たちが一緒にいるためには、乗り越えなければいけないことが山積みだったのでした。悩みに悩んだ末に彼がこういいました。それなら先に「一緒にいること(結婚)」を決めてしまおう。これが私たちの作った答えでした。

 不思議なもので、決断できてた今、心がフラットになりました。取り巻いていた負の感情も浄化されたように感じています。またいつかひょっこり顔を出すのかもしれないけれど、その時はまた彼と大切なみんなと、きっと新たな答えを見つけ出していけるんじゃないかと自然に思えます。
 『復興』という言葉はあまり好きではないけれど、もしも『心の復興』という言葉があるのならば、このことを通して私は心の復興を、遂げることができたように感じています。今「『彼と一緒に幸せになる』という新たな覚悟」をもって、笑顔で前を向くことができています。


最後に、何が欠けても

 彼との出逢い然り、向き合い続けて来れた今日までの日々も然り、こうして心を寄せてくださるみなさんがいて、やっとこの覚悟を決めることができた私がいます。本当に本当に心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。今があるのは奇跡のような話で、どれか1つが欠けても、誰か1人が欠けても、今の私たちのカタチはなかったと思っています。
この気持ちを忘れずにこれからはゼロから「楽しい」や「幸せ」を作り出していけるよう、邁進していきます。不束な私たちですが、また沢山学ばせて頂きながら、これからは彼と一緒に、心からどうぞよろしくお願いします。


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3月12日は、新月の友引です。
私たち2人が出逢うきっかけとなった日
私たちが新たな希望に向かって歩き出した日
この日を希望に変えて。
幸せに引き寄せるよう、祈りと感謝の気持ちをこめてこの曲を送ります。


PUSHIM_I Pray

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